美濃地方における東本願寺の拠点。境内には教区同朋会館や大垣幼稚園が併設され、地域の仏教活動の中心地として機能している。 報恩講や定例法座などの行事も多く、通称「大垣のごぼさん」として市民に親しまれている。
1602年に美濃国三塚村の真徳寺掛所として創建。江戸時代には大垣藩主戸田氏の菩提所として保護を受けた。 1852年に東本願寺より「開闡寺」の寺号を授かり、1876年に「大垣別院」の名を得て現在の寺格となっている。
濃尾地震では本堂が倒壊し、多くの犠牲者を出した。当日が親鸞聖人の月命日であったことが被害拡大の要因となった。 その後に建てられた本堂(大正7年築)も戦災で焼失。1972年、鉄筋コンクリート造の本堂が再建された。